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電子足跡: ほぼ旧街道を歩いて日本縦断
日本橋から、最北端北海道宗谷岬・最南端九州佐多岬へ


仕事をしていたときも、ときどき旧街道を歩いていましたが、定年を迎える頃に、それまで歩いた道を一旦リセットして旧街道を歩いて日本を縦断してみたいという思いが頭をもたげました。
そもそも明治以後、新しく道路が整備され現在に至るなかで、近世まで使われていた五街道に代表される旧街道は現在どうなっているのか?現在でも歩いて旅ができるのか?という疑問というか好奇心が頭から離れなくなりました。
そして、日本橋から日光街道・奥州街道を北上し始終点の三厩・竜飛岬へ。北海道は鉄道路線に沿って最北端の北海道宗谷岬へ。
更に日本橋から東海道を西へ向かい旧山陽道を歩き九州に入り、本土最南端の佐多岬まで歩きました。11年かかりました。

東日本は
2014年2月9日: 日本橋から日光街道を歩き始め、宇都宮からは奥州街道を北上。北海道は鉄道路線に沿って歩いて、
2019年6月24日: 最北の地 北海道宗谷岬到達。

西日本は
2022年05月24日: 東海道を日本橋からスタート
 京都三条大橋から旧山陽道(西国街道)を西に向かい、下関到達。
 九州に入り、長崎街道、豊前街道、三池往還、薩摩街道を南下。
 そして、鹿児島湾(錦江湾)沿岸を歩いて、
2025年6月5日: 本土最南端佐多岬に到達。

ほぼ旧街道を歩いて日本を縦断した場合の総移動距離は
 中山道経由の場合 3347.0㎞ 移動日数:150日
 東海道経由の場合 3286.8㎞ 移動日数:143日(七里の渡し除く)

日本縦断 写真ギャラリー

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北海道縦断
函館→長万部小樽札幌旭川稚内→宗谷岬


奥州街道
宇都宮→
福島仙台盛岡十和田青森三厩→竜飛岬






日光街道
日本橋→草加春日部古河小山→宇都宮


ほぼ旧街道を歩いて日本縦断 ルート地図

東海道

      浜松静岡箱根神奈川←日本橋
三条大橋←草津鈴鹿峠桑名・・(七里の渡し)・・宮



旧山陽道

   姫路明石神戸←京三条大橋
  下関←新山口駅広島尾道岡山







北九州

  ←山家(長崎街道)小倉(門司往還)門司(関門トンネル)←下関
熊本← (豊前街道)植木田原坂(三池往還)柳川久留米(豊前街道)






南九州

  ←鹿児島城下伊集院薩摩川内水俣八代←熊本(薩摩街道)
佐多岬←大泊伊座敷根占垂水桜島口霧島(国分)(鹿児島湾岸)



旧街道名/街道以外 旧街道
始終地点
日本縦断で
歩いた区間
歩いたGPS距離 歩いた日数
(休養日除く)
北海道縦断   函館→札幌→旭川→稚内→宗谷岬 727.3㎞ 25日
三厩→竜飛岬(本州西側最北端)   青森県三厩→竜飛岬 11.7㎞ 1日
旧奥州街道
(724.2km)
栃木県宇都宮市/青森県三厩 宇都宮→白河→福島→仙台→盛岡→青森→三厩 724.2㎞ 32日
旧日光街道(161km) 日本橋/日光東照宮 日本橋→草加→春日部→古河→小山→宇都宮 117.0㎞ 7日
↑東日本  
日本橋
 
↓西日本  
中山道
(575km)
日本橋/京三条大橋 日本橋→大宮→高崎→碓氷峠→軽井沢→和田峠→諏訪→奈良井→妻籠→馬籠→岐阜→関ケ原→京三条大橋  575.3㎞  24日
旧東海道
(515km 除く七里の渡し
日本橋/京三条大橋 日本橋→藤沢→箱根→静岡→大井川→浜松→岡崎→宮 (七里の渡し) 桑名→鈴鹿峠→大津→京三条大橋 515.1㎞ 22日 
旧山陽道
(611km)
京三条大橋/下関永福寺 京三条大橋→西宮→明石→姫路→岡山→尾道→広島→防府→新山口→下関  611.0㎞ 29日
門司往還
(15.8㎞)
門司和布刈神社/小倉常盤橋 下関 関門トンネル人道入口→門司→小倉常盤橋 16.9㎞ 1日
長崎街道
(243㎞)
小倉常盤橋/長崎出島 小倉常盤橋→八幡→福岡県山家 72.3㎞ 10日
豊前街道
(104㎞)
福岡県山家/みやま市瀬高町 福岡県山家→みやま市瀬高町 49.1km  2日
三池往還
(49.9㎞)
みやま市瀬高町/熊本市植木町 みやま市瀬高町→田原坂→熊本市植木町 49.9km  2日
豊前街道
(104㎞)
熊本市植木町/熊本市札ノ辻 熊本市植木町→熊本市札ノ辻 11.8km
薩摩街道
(231㎞)
熊本市新町/鹿児島市 熊本市札ノ辻→八代→三太郎峠→水俣→出水→川内→伊集院→鹿児島城御楼門 230.7km  9日
鹿児島湾沿岸を歩いて佐多岬 鹿児島城御楼門→霧島(国分)→桜島口→垂水→根占→伊座敷→佐多岬 149.8㎞ 8日 
総距離 旧中山道経由 3347.0 150日
総距離 旧東海道経由 3286.8 143日


   Melancomic     憂鬱のとなりに可笑しみ      八木宇気
     
装画を担当させて頂きました。 click
 
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3000㎞を越える道のりは、例えばアメリカを東西に通る歴史的な道、
『ROUTE66』は3755㎞です。下の地図は同じ縮尺の日本とアメリカの地図です。「日本って意外と広い、いや、長い!」
そう思うと “やったぜ感” が出てきます。
ROUTE66

歩くときに決めたルール

歩く為のルールは下記の通りです。

1.可能なかぎり旧街道を歩く。
  詳細なルートが掲載されている資料なく、ルートが不明な場合は一般道を歩く。

2.旧街道のスタート地点、ゴール地点はその街道の始終点とする。
 実際に歩くときに旧街道のルートを調べると、始終点が明確に定まっていない場合もありました。その場合は自分が興味を持った始終点近傍の地点を選びました。

3.旧街道の道筋が特定されていない、或いは既に廃道になっていて歩く事が困難な場合は、無理に旧街道を歩かずに迂回する。

4.その日のゴール地点を次の日のスタート地点とする。それにより道筋が途切れる事無く一筆書きで道を繋ぐ。

5.宿泊手段は車中泊をメインにする。
 (これは、年金生活ですので、単に費用削減のためです。)
 旧街道沿いに公共交通機関が無い場合は、旅館ホテルを利用する。

注:
実際に旧街道を歩いたときに旧街道沿いに鉄道路線が通っておらず、ホテル・旅館に宿泊したのは、
奥州街道の
氏家駅から白河駅の間で大田原市で1泊、 
三戸駅から七戸十和田駅の間の十和田市で1泊。
中山道の
岩村田から下諏訪の和田峠越えのとき『民宿みや』で1泊。

あとは1日40㎞近く歩くこともありましたが、なんとか駅と駅の間を歩けました。

6.その日のゴール地点の駅やバス停付近に車で行き、車を駐車して、公共交通でスタート地点に行って歩き始める。
注:
夏場は日中の気温が高くなるので、朝早くから歩き始めることがありました。その場合はスタート地点に駐車して歩き始めてゴール地点から公共交通を使って車が置いてあるスタート地点に戻る事がありました。

旧街道を歩いて日本縦断が出来るのか?
歩き終わった2025年時点では旧街道を歩いて日本縦断するには、部分的に歩けない道筋があったり、昨今の豪雨で道が荒れていて危険と思える場所もありましたが、かろうじて歩く事ができました。

鉄道路線は廃止され、バス路線も縮小・廃止され、小さな町では旅館などの宿泊施設も無くなりつつあります。
少し大きな町では、同じ外観のコンビニや飲食店が建ち、便利ではありますが、均質化した街並みが目立ちました。
地方の山間部や海沿いの寒村では過疎化がすすみ限界集落になり、旅館は勿論、お店も無いような集落が散見されました。

そこに住んでいる人達も多くは高齢者で、その方達の話す言葉が、聞き取れない方言なのに、何故か暖かい響きの言葉で話す内容は分からないのに気持ちが通じる。他と違うって大切な事だなと思いました。日本もまだ完全には均質化はしていないなと少しホットしました。“他と違う”って大切な事だと思います。

ですが、あと一世代時代が回ると日本のどこに行っても同じ様な言葉を話し、同じような家並みになり、均質化した魅力の乏しい町になってしまうように思います。更には電車やバスを使って旅行する事が難しくなるような気がします。

歩き終わって

日本を縦断したからと言って、なにがどう変わるという事もないですし、到達したときはどんな感情だったかと聞かれると、それは爆発的な感動ではなく、湧き出る泉のような静かな感動でした。「ちょっと脚が疲れたけど、いや~我ながら、良く歩いたな~。」という感じです。
そして、自分で決めて、好きで歩いているのに 「これで、もう歩かなくていいんだ、早く家に帰ろう。」と言うのが正直な感情です。
多くの方達がバックパッキングで歩いたり、自転車だったり、異色なのは人力車を引いたり、いろいろなスタイルで日本縦断や一周しています。
それぞれの思いで歩いていると思いますが、結局は自分と自分の居場所を探す、或いは自分と居場所を再認識する為の行為なのかなとも思います。
もし、ずっと旅を続ける方が居たら、それは旅が自分の居場所なのだと思います。

旧街道を歩いて日本を縦断して感じた事が幾つかあります。
1)体力は無い、スポーツは苦手。“脚が痛い” “疲れた” を少し我慢すれば、人より時間はかかるかもしれないけど日本縦断は出来る。

2)日本という国は本当に平和で安全な国である。GDPに代表される経済も大切だけど、平和・安全を維持していく事は世界に誇れる事だと思います。

3)人は旅人に優しい。コーヒーを御馳走してくれた方、折りたたみ傘を差し出してくれた方、道を教えてくれた方、私を見ると車をセンターライン側にハンドルをきってくれるドライバー。多くの方達の親切を受け取りました。

4)一部ですが、山奥の寒村などでは、聞き取れないくらいの方言が残っている。聞き取れない言葉でも、優しい響きの言葉は気持ちが通じる。標準語に染まって均質な個性の無い言葉にならないで残ってほしい。

5)観光地でもない、何処にでもある様な場所が、季節、天候、光、雲、空などの関係でとてつもなく美しい表情を見せる事がある。
ちょっと気障ですけど、どんな人生にも必ず煌めきがあるように。

6)「もう歩かなくてもいい、早くみんなが居る家に帰ろう。」 この感覚を感じた事、 あたりまえの日常が一番大切な事と思える様になった。月並みで当たり前の事ですが、これが日本を縦断して得た一番の収穫です。

定年後の10数年の間に、両親の介護。そして両親は亡くなり、兄も亡くなりました。子供たちは結婚して良い伴侶に恵まれ、孫も生まれました。
季節が静かにうつろう様に、私の人生も静かに変わっていきました。

生まれ・学び・働き・恋をして・結婚して・子供が授かり・育て。そしてそれが繰り返し続き・・・・・
人の一生は、けして後戻りすることが出来ない時間を旅している。
歓喜、有頂天、恍惚、悲しい、寂しい、切ない、落胆、悲哀、憂鬱、絶望、怒り、いら立ち、憤慨、激怒、不機嫌、憎悪、軽蔑、侮辱、恐怖、不安、心配、緊張、戦慄、心細い、不気味、驚き、びっくり、驚嘆、呆れる、慌てる、愛する、恋する、憧れる、尊敬する、思いやり、好奇心、後悔、罪悪感、安心、興奮、感動、諦め、退屈、焦り、苛立ち喜び、悲しみ、驚き、嘆き、嬉しい、楽しい、幸せ、満足、 ・・・・・

その感情は、ときどきに表情を変える風景の様に、自分にしか見えない人生の風景なのかも知れません。

おくのほそ道
  月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり


2025年12月14日 作成
END

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