プロローグ
東京さくらトラムの愛称がある都電荒川線沿線を歩こうと思った理由は、学生時代まで遡ります。私が田舎町から進学で東京に出た頃、南こうせつとかぐや姫が歌う『神田川』が流行した後で、東京に出たとき、元来ミーハーな私は神田川ってどんな川か見たいと思いました。
地図を調べたら、近くを流れる川と知り早速行ってみました。
神田川は都心のコンクリートの護岸の中を流れる、それ程大きくない川でしたが、岸辺は意外と緑が多く、頭の中には歌のイメージが残っていたので、目で見る風景より頭の中の心象風景の方が勝り、東京に来て直ぐに可愛らしい彼女ができて、一緒にこの川辺を散歩する事になるのだろうなと想像を逞しくしながら川面を眺めました。ですが、そんな想像は全く根拠のない妄想だと気が付くのにおおくの時間はかかりませんでした。
そのとき、神田川の直ぐそばに都電が走っているの見て、「都電って、まだ走っているの?」という驚きと共に、その可愛らしい姿、ゆっくりとしたスピード、独特な線路の音が心を捉えました。
都会生活に少し慣れた頃、早稲田から三ノ輪まで荒川線に乗って小さな旅をしました。残念なことですが、一人で乗ったのは勿論です。
そして、それから幾星霜、この歳になった私はその時電車の中から見た風景を、この年齢になり、電車の外から見てみたいと思い都電荒川線沿線を歩く事にしました。
歩きデータ
| 都道府県 | 東京都 |
| 区間 | 三ノ輪橋駅~早稲田駅 |
| 歩いた日 | 2026年3月4日 |
| GPS移動距離 | 14.1㎞ |
| 通るビューポイント | 都電荒川線がビューポイントそのものです。 三ノ輪橋駅、三河島水再生センター、大雄山泊船軒、あらかわ遊園、荒川車庫・都電おもいで広場、、王子駅前、飛鳥山公園、身代地蔵尊百度石、巣鴨地蔵通商店街、大塚駅前、雑司ヶ谷鬼子母神、千登世橋、のぞき坂、神田川、面影橋、早稲田駅 |
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。
都電荒川線について
明治44年(1911):大塚から飛鳥山間が王子電気軌道として開業。昭和5年(1930):全線開通
昭和18年(1943):東京都交通局が管理して都電となる。
昭和47年(1972):都電荒川線を除き、大部分の都電が廃止。
平成29年(2017):愛称が「東京さくらトラム」になる。
車社会になり、路面電車が車の通行の妨げになってきた為に廃止が加速しましたが、都電荒川線は道路を走る区間が少なく、専用軌道が多かったこと、代替えのバス路線が無かった、住民の強い存続要望が多かったなどで現在まで存続しています。
荒川線の歴史をみると、江戸・明治とその時代の主要な人流・物流の道だった旧街道の様です。
時代が変わり時代の要請に合わなくなり、忘れ去られた旧街道でも、場所によっては現在でも生活道路としてその役割を果たして人の生活に役立っている。新幹線や高速道路の様に目立たなくても、自身に与えられた役割を立派に果たして人の役に立つ、 "いたいけな" な電車と思います。
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三ノ輪から王子駅前駅まで
東京の下町を走る区間
三ノ輪橋駅からスタートです。



三河島水再生センター
大正11年(1922)に三河島汚水処理場として運用が開始された、日本最初の近代下水処理場で国の重要文化財に指定されています。
敷地の東側に隅田川が流れています。

大雄山 泊船軒(だいゆうざん はくせんけん)
臨済宗妙心寺派のお寺です。山号はともかく "泊船軒" ってお寺の名前とは思えない寺院です。町屋駅前駅のすぐそばにあります。


あらかわ遊園
荒川遊園地前の駅からは少し離れていますが、当時はここに遊園地がある事に気が付きませんでした。大正11年(1922)頃に民営の避暑地として開園したようです。
その当時の新聞に『東京に最も近き避暑地』 『暑さ知らずの仙境』 『面白き余興夜間もあります』 などの文字が見えます。
たった100年くらいですが、今からは想像出来ないような風景が広がっていたのでしょう。
戦時中は高射砲が設置され、戦後 荒廃した敷地を整備して、昭和25年(1950)荒川区立荒川遊園として開園しました。
荒川車庫
都電の行先に 『荒川車庫前』 と書かれていた車両が走っていました。荒川車庫ってこの場所だったのですね。


隣は 都電おもいで広場 になっていて、かつて都内を走っていた車両が展示されています。私より年配の方達の中にはこれらの車両に乗って通勤通学をした方もいらしゃるのではないかと思います。


それにしても、都電の車両は、空気抵抗など全く考慮せず、なんとも愛くるしいデザインです。
王子駅前駅
王子駅前では荒川線は新幹線の高架の下を走っています。
厳密には荒川線の上に新幹線の高架を建設したと言ったほうがよいです。


王子駅前から
都電荒川線は山手を走ります
下の東京都の地図を御覧ください。東京都は大雑把に言うと、JR山手線の東側の路線が通っている付近で地質・地形が異なっています。
西側は、武蔵野台地と言われる、多摩川が運んだ扇状地の砂礫層の上に富士山・箱根・浅間山などの火山灰が積もった関東ローム層の上に成り立っています。
一方、下町低地と言われる東側は、氷河期に河川が刻んだ谷を縄文期の海進で海底に堆積した泥・砂で出来ています。

注: 白線は東京都境 ピンク線は都電荒川線路線
山手・下町と言っても明確な境界がある訳ではないですが。
地形的にはJR山手線の東側の路線が走る付近が山手と下町の境目という事になります。
都電荒川線は、王子駅・飛鳥山付近で、その下町と山手の境を通ります。

以下の写真は王子駅付近から、下町と山手の境を登って行く都電荒川線です。





飛鳥山
坂を登りきると、荒川線が走る東側の丘は渋沢栄一が居を構えた飛鳥山です。あの日は、一度ここで降りて飛鳥山公園を散歩した記憶があります。
江戸の痕跡 百度石
飛鳥山駅そばの身代地蔵尊の境内にありました。島田髷を結った若い女性が、恋の成就を願ってこの御百度石を100回行き来したのかな?などと勝手な想像が膨らみます。
巣鴨地蔵通商店街
"おばあちゃんの原宿"の異名がある巣鴨地蔵通商店街を横切って荒川線が通って行きます。この商店街は旧中山道です。
私も原宿や竹下通りより巣鴨地蔵通りが似合う年齢になりました。


サンシャイン60の高層ビルを背景に走る都電荒川線
サンシャイン60が見えると、池袋が近づいてきたと感じます。私が東京に出た頃は、新宿に京王プラザホテルが在ったのは記憶に残っていますが、その後、いつどのビルが建ったのか記憶が定かではありません。それくらい急速に高層ビルが建設されていったのだと思います。
大塚駅を過ぎるとJR山手線の内側を走ります
大塚駅前
JR山手線と都電荒川線が交差する所なので大塚駅で都電を見たことがある方達も多いのではないかと思います。


東池袋付近



雑司ヶ谷鬼子母神
お祭りしている鬼子母神像は永禄4年(1561)に、現在は清土鬼子母神堂がある清土(文京区目白)の畔から掘り出され塔中東陽坊におさめられていました。
その後、天正6年(1578)に"稲荷の森"と言われていた現在地の法明寺境内にお堂を建てて安置したのが始まりです。
雑司ヶ谷鬼子母神は関東大震災と太平洋戦争でも被災を免れたため、参道のケヤキ並木も境内の樹木も鬱蒼と繁り、都内とは思えない静かな境内です。
子宝・安産・子育ての神様ですのでお参りすると良いと思います。



千登世橋
"目白通り"と"明治通り"が交差する所に架かる橋です。西側は学習院大学のキャンパスです。都会的な風景ですが、どこか懐かしさを感じる橋です。


池袋方面には高層ビルが建設中でした。若い頃は高層ビルが建設されるとニュースになりましたが、最近は高層ビルの建設が当たり前になったのか話題にもなりません。のぞき坂
目白通りから神田川方面に降りていく坂です。
それにしても東京は坂が多い街です。


神田川
神田川の風情は変わりません。



面影橋
日本的な美しい名前です。

『面影橋』と聞くと、この歌を思い出します。
都電荒川線 早稲田駅
随分と時間が経ち、野ざらしだった駅は新しくなりました。
あの日、私はお昼前に野ざらしだったこの駅から乗りました。
そして、今は黄昏時です。

エピローグ
若い頃に乗った都電荒川線沿線を歩いてみました。周囲の建物の多くは新しくなっていましたが、土地が持つ記憶とでも言うのか雰囲気は昔のままでした。
ただ、私の記憶は断片的で、覚えている事はあっても支離滅裂とまでは言わないまでもかなり曖昧でボンヤリとしていました。
『そういえば、ここでこの風景を見たな』とか、『この電車の音は昔と変わらないな』 とかあまり具体的な記憶ではなく、情景というか雰囲気というか紗がかかったような記憶が残っていました。
でも、それで良いのだと思います。紗がかかり細部は見えない方が思い出が美しくなります。
END
2026年04月29日 作成
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