電子足跡: 旧青梅街道歩き旅
新宿三丁目追分から中野坂上‐荻窪‐善福寺‐田無を通り新小平駅まで
プロローグ
このページは新宿三丁目の伊勢丹、丸井、Louis Vuittonなどの商業施設が建ち並ぶ、旧青梅街道と旧甲州街道の追分から西に向かい、高層ビル群、中野、荻窪、善福寺、田無を通過して、JR武蔵野線新小平駅まで歩いたときのページです。高層ビルが建ち並ぶ新宿から、徐々にビルの高さが低くなって行くグラデーションが現在から高度成長期を遡るような感じがして面白かったです。
また、長年疑問に思っていましたが、新宿西口の都庁やよどばしカメラ本店あるエリアが、何故 "よどばし" という地名だったのかを知る事もできました。電車で都内を移動しても、気づく事がない新しい発見でした。
歩きデータ
| 都道 府県 |
区間 | 通る宿場ビューポイント等 | 歩いた日 | GPS 移動距離 |
| 東京都 | JR 新宿駅-新小平駅 |
新宿追分、馬水槽、 新宿東口の猫(3D映像)、新宿西口高層ビル群、淀橋、中野宿、中野坂上、井草八幡宮、江戸向き地蔵、柳沢宿(田無)、柳沢庚申塔、田無神社、田無山総持寺 |
2025/4/22 | 23.4㎞ |
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。

advertisement
新宿三丁目交差点 青梅街道追分
スタート地点は新宿三丁目交差点の青梅街道と甲州街道の追分です。伊勢丹、丸井、Louis Vuittonなどの商業施設が建ち並ぶ一角です。
首都圏に住んでいる方や、学生時代や仕事の関係で首都圏に住んだ事がある方達は一度は訪れた事があるのではないかと思います。
この交差点を南南西方向 明治通り方面に進むと甲州街道。西北西に新宿通りを進むと青梅街道です。


交番の名前も "追分交番" です。紀伊国屋書店
学生の頃から全く変わらないビルです。紀伊国屋のビルを見ると新宿に来たという感じがします。馬水槽
説明板によると、この水槽はロンドン水槽協会から贈られたものです。大きな水槽は馬用、下の小さな水槽は犬猫用の水槽です。最初は明治39年(1906)に東京市役所(現在東京国際フォーラム)向かいに設置されていたそうです。何回か移設を繰り返し、昭和39年(1964)に東口ステーションビルが完成したとき、新宿駅東口広場に"みんなの泉"として移設されました。
スタジオアルタ跡
馬水槽と道路を挟んだ反対側。タモリさんがMCを務めた、長寿番組 "笑っていいとも"の収録が行われていた場所です。
今は "STUDIO ALTA"の看板も消されていました。
新宿東口の猫
多くの人達がスマホを向けていたので、何だろうと思いました。ときどきTVでもその映像が放映される3D映像の巨大な猫でした。この場所だったんですね。
旧青梅街道
新宿駅東口から西口に行く、山手線下の細い連絡通路が旧青梅街道の道筋だったとは思いもしませんでした。
学生の頃、何度この連絡通路を渡ったか数えきれません。

山手線の下の通路を潜って西口側に来ました。
通路の出口のすぐそばに飲み屋街が広がっています。
正式名称が "思い出横丁" だったとは知りませんでした。学生の頃は "しょんべん横丁" と言っていました。大都会新宿に昭和というか戦後まもない頃の雰囲気が残っています。私としてはこの雰囲気が落着きます。
"しょんべん横丁"から僅か数100m。高層ビル群が建ち並ぶエリアに来ました。雑多な飲み屋街と高層ビル群が同居しているエリア。
なんら計画性を感じられない様なゴチャマゼな都市が東京の魅力のひとつだと思います。


よどはし(淀橋) ヨドバシカメラ社名の由来
神田川に架かるそれ程大きくない橋です。
現在の新宿駅西口の都庁や京王プラザホテル、住友ビルが在るエリアはかつて淀橋という地名で、"淀橋浄水場" があり、"ヨドバシカメラ創業の地"という事は知っていましたが、何故 "淀橋" なのかズット疑問に思っていました。
今回の歩き旅でようやくその疑問が氷解しました。この橋が地名の由来だったんですね。

淀橋を渡って神田川を越えると新宿も過ぎたなという感じがしてきます。
中野宿
中野宿は多摩方面から来た場合は青梅街道の最後宿場で、現在の中野坂上付近が宿場の中心地だったようです。多摩方面からの物資の集散地として栄えたそうです。現在では宿場町を感じさせる遺構は見当たりませんでした。

若い頃の事で記憶が定かでは無いのですが、"中野坂上"という地名が出てくる歌か小説が有ったように記憶しています。悲恋物語だったと思うのですが、その曖昧な記憶が "中野坂上" という地名はどこか特別な場所という感覚を生み出して、住んだ事もないのに、若い頃の甘酸っぱい記憶が蘇ります。
鍋屋横丁
如何にも江戸時代から続いていると思える名称です。
妙法寺へ行く参道の入口で、ここに在った"鍋屋"という茶店が名称の由来だそうです。建物は建て替わっていますが、その微妙に曲がった道筋と名称は時代を経ても残っています。


散歩カフェ ちゃらぽこ
旧街道を歩く為に、旧街道が載ったホームページを頻繁に検索するのですが、ときどき "散歩カフェ ちゃらぽこ" がヒットすることがありました。
オーナーの方は旧街道を歩いたのがきっかけで街道歩きにはまり、歩く事だけにとどまらず、旧街道歩きや散歩する事をコンセプトにしたカフェまで開いたと書いてありました。そのお店が青梅街道沿いに在るとは思いませんでした。
カフェのみならず、散歩会や街道歩きのイベントも企画しています。
ただ、この日は火曜日で定休日だったのが残念でした。
青梅街道南側の電柱の看板が目印です。


歩くことが好きな私としては、勝手に "ちゃらぽこ" を応援させて頂きます。
散歩カフェ ちゃらぽこのホームページはこちら
中野宿から
地下鉄東高円寺駅付近の街路樹都会のコンクリートに囲まれた旧街道も街路樹があると雰囲気が断然よくなります。

中央線荻窪駅付近
荻窪駅から500mほど手前の三叉路です。左の道が旧青梅街道のルートです。荻窪駅は旧青梅街道のルートを分断するように建っています。構内を歩いて中央線の北側に出ました。環状8号線を渡ります


善福寺池周辺
井草八幡宮ここにこんな大きな神社があるのは初めて知りました。歩くと意外な発見があります。

江戸向き地蔵
ここまで歩いて来て、初めて江戸時代からここに鎮座するお地蔵様をみました。素朴なお顔をしたお地蔵様です。名前のとおり江戸の方向を向いて立っています。
中央のお地蔵様は享保14年(1729)に造立されたそうです。それ以来300年近くこの地で地域の人々と旅人を見守っています。


柳沢宿 西部新宿線田無駅周辺
西東京市という自治体があるのを初めて知りました。平成13年(2001)に田無市と保谷市が合併して発足しました。田無市や保谷市の方が馴染みがあります。
柳沢庚申塔
西部新宿線を越えてすぐの都道4号線の南側の歩道にあります。一目見て古い庚申塔と分かります。
享保8年(1723)に付近の住民23名により庚申講が組織され、この庚申塔が建立されたそうです。
地方でよくみる庚申塔は自然石に "庚申"とか"庚申塔" と刻まれたものが多い印象ですが、この庚申塔は正面に青面金剛像、側面に蓮が掘り込まれています。



庚申塔から直ぐ都道4号線と旧青梅街道が分かれる三叉路があります。三叉路を左に進みます。田無神社(尉殿大権現)
創建は鎌倉時代まで遡るそうです。尉殿(じょうどの)は関東地方に信仰される土着の神様で、17世紀頃からは、ここ田無神社から分祀された "尉殿権現" があるそうです。



田無山総持寺
田無神社とは道路を挟んだ西側にあります。
正確は創建時期は不明とのことですが、元和年間(1615~1624)には創建され、慶安年間(1648~1651)には現在地に移転したと伝えられているそうです。

田無神社といい、総持寺といい、江戸時代であれば、まだ片田舎だった田無に、こんな大きな由緒ある神社とお寺が在ったことが少々驚きます。
小平市 武蔵野線新小平駅
新宿追分を12時頃スタートして、23.4㎞歩いて、19時を回ってしまいました。武蔵野線新小平駅が今日のゴールです。駅前に提灯が並び昼の様な明るさでした。
ゴールを歓迎してくれたのかな?


エピローグ
新宿は学生の頃に何度も訪れました。その当時訪れた場所も多かったですが、ゆっくりとしたスピードで再訪すると新な発見が有ったり、懐かしいと思える場所もあったり色々な思い出や感情が湧き上がってきました。END
2026年02月03日 作成
advertisement
Column
広告
お買い物




