電子足跡:暗越奈良街道歩き旅 (くらがりごえならかいどう)
近鉄奈良線額田駅から
生駒 暗峠を越えて春日大社へ シルクロード終着の道
暗越奈良街道とは
このページは暗越奈良街道の生駒山系の西側の麓の額田駅から暗峠を越え榁木峠を登り、平城京の復元された朱雀門を見て、始終点の春日大社まで歩いたときのページです。暗越奈良街道は大阪市内の高麗橋東詰から生駒山系の暗峠(くらがりとうげ 標高455m)を越えて奈良県に入り、奈良市の春日大社へと東西に続いている全長約34Kmの道です。大阪と奈良を最短距離で結ぶ道です。
2026年に世界遺産に登録された藤原京(694~710年)が平城京(710~784年)に遷都されてからは、大阪の難波京と奈良平城京を繋ぐ最短の主要道として古代から多くの人と物、文化を運びました。
戦国時代、豊臣秀吉の弟、秀長が大和郡山城の城主となってから、秀長は頻繁にこの暗峠を越えて、浪速と大和郡山を行き来したと思います。
シルクロードが終わる道
とりわけ遣唐使をはじめ外国の使節、そして防人達もこの道を歩き、唐からやってきた鑑真和上も暗越奈良街道を通って奈良に来たと言われています。そして、正倉院の宝物もこの道を通って運ばれたと考えられています。
いわば、シルクロードの最後の行程が暗越奈良街道という事になります。
暗越奈良街道 全行程ルート地図
本地図はフリーソフト "カシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。
上の地図が単独のウィンドウで開きます。この地図を参考にして歩く場合はこちらをクリックしてください。
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暗越奈良街道歩き旅の概要
歩きのデータ
| 都道府県 | 大阪府/奈良県 |
| 区間 | 東大阪市山手町 近鉄奈良線額田駅 ~ 奈良市春日野町 春日大社 |
| 歩いた日 | 2026年5月19日 |
| GPS移動距離 | 21.4Km |
| 通るビューポイント | 芭蕉句碑、法勝寺、お玉大神、弘法の水、暗峠の再生棚田、暗峠、暗峠の石畳、防人の歌碑、石造阿弥陀如来立像、竜田川、室の木峠、隆福院跡地、垂仁天皇陵、富雄丸山古墳(蛇行剣発掘地)、平城京跡、復元朱雀門、猿沢池、興福寺、春日大社 |
近鉄奈良線額田駅から暗峠へ
額田駅に降り立ち、少し南に進むと暗越奈良街道に合流します。暗越奈良街道の上を奈良線の高架が通り、まるで古代の道に入る門の様な感じがします。

いきなり、生駒山山系が目の前にそそり立っています。この地点は標高50mほどの所です、ここから標高455mの暗峠を目指して2.4km歩きます。平均斜度は9.6度ほどです。登り始めてまだ400mも歩いていないにも関わらず、大阪市街の眺望がよくなりました。


芭蕉句碑
菊の香にくらがり登る 節句かな
芭蕉
奥の細道の旅が終わり、芭蕉は生家がある伊賀から、大阪の門人の対立を仲裁するために、病身の身をおして、この暗越奈良街道を通り大阪に向かいました。そして芭蕉は大阪で亡くなっています。大阪への旅が芭蕉最後の旅でした。亡くなった芭蕉の亡骸は芭蕉の遺言により、旧東海道沿いの琵琶湖の南端大津市に在る義仲寺の木曾義仲の墓の隣に葬られています。
法照寺
『こんな山道に、こんな立派なお寺!?』って思ってしまいました。法華宗の寺院ですが、由緒は分かりませんでした。
付近は、枚岡公園になっており、山肌に幾筋も道があって、展望台も設置され大阪市街の眺望がよい場所です。

ここは、法照寺から、少し進んだ標高250mほどの場所からの眺望です。

お玉大神
路傍に "お玉大神"と刻まれた石碑をはじめ、複数の石碑がありました。古いお墓が集められたのか?と思いましたが、詳細は分かりません。暗越奈良街道最急勾配地点のカーブ
GoogleMapに"最急勾配地点"と書かれているカーブです。弘法の水・笠塔婆
旧街道を歩くと、『弘法大師の〇〇』と云うのにたまに出会います。これまで出会った『弘法大師の〇〇』は全て"水"に関わるものでした。実際に弘法大師が関わっていたのかは分かりかねますが、普段は特に意識はしていませんが、歩いている時、特にこの様な急登の道では "一杯の冷たい水" を飲むと身体中の力が蘇るのを感じます。"水"は命そのものと感じます。
暗峠(くらがりとうげ)
暗峠の再生棚田この風景を見たとき、子供の頃の記憶が呼び覚まされるのを感じました。無性に懐かしい風景です。
長く遊休農地となっていた棚田を市民・JA・東大阪市が一体になって再生・保全をしているそうです。

振り返ると、近代的な大阪市街が広がっています。



暗峠(くらがりとうげ)
標高455m。大阪府と奈良県の県境でもあります。かつて峠周辺には、本陣や旅籠・茶屋が並び、伊勢参りの人達で賑わい、さらに古代は多くの万葉人・防人がこの峠を越え、遣唐使も鑑真和上も越えていきました。



暗峠石畳
峠付近には石畳が残っています。石畳が残っている事で、往時の風情を色濃く感じることが出来ます。
この石畳は大和郡山藩が敷設したと言われています。
大和郡山は令和8年(2026)に放送されている、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟』で描かれている秀吉の弟 羽柴(豊臣)秀長 が城主だった時期もある藩です。

本陣跡
暗峠を越えて奈良側に少し下った場所です。
暗峠周辺には茶屋・旅籠が集まり本陣もありましたが、幕府が認めた宿駅制度で云う宿場ではありませんでした。
詳しい事は分からないのですが、大和郡山藩の本陣だったという記述がありました。大和郡山藩にとっては政治的・商業的に大阪へ続く暗奈良街道は重要な街道だったという事かもしれません。


暗峠から竜田川へ
生駒市街の風景
手前から、生駒市街、榁ノ木峠、奈良盆地、東大寺・春日大社 と見えています。

防人の歌碑
防人下野國梁田郡上丁大田部三成
難波津を 漕ぎ出て見れば
神さぶる 生駒高嶺に 雲そたなびく
万葉集巻二十・4380
この和歌を詠んだ防人の出身地の下野國梁田郡 は現在の 栃木県足利市梁田町 付近です。ここに家族を残し、東山道を通ったのか、東海道を通ったのか、いずれにしても700Kmくらいを歩いて旅をして。さらに大阪湾から瀬戸内海を船で九州まで行き防人の任につき。任が解かれても無事に家族の元に帰れたのか?帰っていてほしいと思いますが、史実は闇の中です。
石造阿弥陀如来立像
右側に『文永七年(1270)广午六月日為西仏過去也』
左側に『南无阿弥陀仏』
と銘がある136cmの石仏です。


藤尾町・荻原町付近
写真左の藤尾町は標高225m。写真右の荻原町は標高135mです。
この付近まで降りてくると家並みも込み合ってきて、山道の印象はかなり薄れます。


竜田川
南生駒駅のそばを流れる川です。ここまで来ると暗峠は越えたと感じます。


竜田川は百人一首の
千早振る 神代も聞かず 竜田川
からくれないに 水くくるとは 在原業平 と詠われた紅葉の名所の竜田川です。
落語『千早振る』
ですが、浅学な私は落語の『千早振る』を思い出します。
ご存じの方も多いと思いますが、あらすじを一通り。
男がご隠居に和歌の意味を尋ねますが、ご隠居も意味を知らず適当に話を作る話です。
・『千早振る 』
→力士の竜田川が花魁の千早に惚れるけど振られる。
・『神代も聞かず』
→こまった竜田川は妹分の神代に仲を取り持ってくれるように
頼むが神代も相手にしない。
・失意の竜田川は、相撲をやめて故郷で豆腐屋になる。
・『からくれないに』
→何年か後、落ちぶれた千早が、豆腐屋になった竜田川に
「おからを下さい」と頼むが竜田川は振られた恨みで断る。
・『水くくる』
→絶望した千早は井戸に身を投げてしまう。
・『とは』
→男が最後にとはって何ですか?と聞くと、ご隠居は苦し紛れに、『それはな、千早の本名がとはだった。』 と答えておちです。
榁ノ木峠越え
榁ノ木峠は生駒市を越えて、奈良盆地に入る標高270mほどの峠です。生駒市は標高110m程ですので160m程度の登りです。
南生駒駅周辺の市街地を通り抜けると登りが始まります。


中腹で振り返ると今越えてきた暗峠が良く見えます。右側の山の上に見える鉄塔付近は生駒山です。

今、下って来た道がそのまま見えるという経験はあまりないです。下っていたときは、なかなか麓に着かないなと思っていましたが、こうして見ると意外と短い道のりだったと思えます。
榁ノ木峠付近



隆福院跡地
奈良時代 養老2年(718)に高僧行基によって建立された寺院跡です。山麓ですが広大な敷地の寺院だったと推測されます。
跡地は芝生のキャンプサイトになっていました。奈良盆地を見下ろす絶景のキャンプサイトです。


隆福院跡地から見た、東大寺大仏殿・若草山方面

坂を下り、富雄川が流れる平地に出て峠越えは終わります。ここからゴールの春日大社まではほぼ平坦な道になります。


富雄丸山古墳 蛇行剣発掘地
富雄川が流れるこの付近から南に500mほどの所に、令和5年(2023)に全長2.8mと言われる国内最大級の蛇行剣が発掘された富雄丸山古墳があります。
築造は4世紀後半。長径109mの円墳で、円墳としては最大規模です。



垂仁天皇陵から春日大社へ
垂仁天皇陵
近鉄橿原線の尼ヶ辻駅のそばに、前方後円墳の垂仁天皇陵があります。暗越奈良街道はその北側を通っています。
築造時期は4世紀半ば頃。墳丘の長さは227m、古墳の大きさでは20番目の大きさです。

近くでみると、その大きさ・高さに驚きます。


垂仁天皇陵を越えると、あとは三条通りを歩いて春日大社まではほぼ直線です。
平城宮跡 朱雀門
平城宮の南側、復元された朱雀門を見ながら東に向かいます。
暗越奈良街道は平城宮の正面から南に伸びる朱雀大路を横切って春日大社に続いています。現在でいう国道308号線、別名大宮通り、三条通 と言われている道が暗越奈良街道です。
平城宮は、東西約1.3Km、南北約1.0Kmで東京ドーム25~28個分の広さでした。この範囲に皇居・儀式を行う大極殿・役所・庭園などが集まっていました。現代でいえば、皇居・霞が関・永田町の様な場所です。
更にその外側に貴族が住む邸宅、役人の住宅、庶民の住居が広がり、東西約6Km、南北約5Kmの範囲が平城京でした。
詳しく知りたい方は 平城京跡歴史公園 のホームページを御覧ください。

当時、庶民は竪穴式住居や掘立柱建物に住んでいのが一般的だったそうですので、地方から来た商人や防人で徴用された人達が平城京を見たら、どれだけ驚いた事かと思います。
写真左:JR奈良駅
写真右:猿沢池


興福寺 中金堂
奈良時代以後6回消失・再建が繰り返され、現在の中金堂は、享保2年(1717)に消失して以来、2018年に再建されました。


今回訪れたときは、興福寺五重塔が令和の大修理中でした。こちらの写真は以前訪れたときの写真です。春日大社
一之鳥居が見えてきました。いよいよゴールの春日大社です。



神護景雲2年(768)、徳天皇の勅命によって現在の場所に社殿が造営されたとされています。春日大社の東側にそびえる御蓋山が神山でその麓に、
武甕槌命=武力・雷・東国の神
経津主命=武力・刀剣・香取の神
天児屋根命=祭祀・祝詞・藤原氏の祖神
比売神=天児屋根命の后神とされる女神
の四柱の神様を祀っています。

エピローグ
暗越奈良街道を知ったのは、今から30年程前です。まだ子供が小さかった頃、家族で奈良・伊勢旅行をしました。そのとき生駒山山中の旅館を予約していたのですが、当時は車にカーナビがついておらず、生駒山周辺で道に迷ってしまいました。何処をどう通ったかは分かりませんが、突然目の前に石畳が現れ、なんて綺麗な道だろうと思ったのが最初です。
その道が暗峠の石畳だったと知ったのは後年になってからです。
初版作成:2026年09月28日
END
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