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電子足跡: 最南端佐多岬歩き旅
  鹿児島城御楼門から加治木駅へ


プロローグ
 

このページは可能なかぎり旧街道を歩いて日本縦断をする旅の最後の歩き旅のスタートのページです。
鹿児島城(鶴丸城)御楼門からスタートして鹿児島湾岸(錦江湾)に沿って日豊本線加治木駅まで歩きました。
この区間はスタート地点から僅か6㎞ほどの間に戦国時代のフランシスコ・ザビエルの上陸地から明治新政府になってからの西南戦争の銃弾跡まで300年以上に渡る史跡を見る事ができます。そして行く先の遠くには霧島連峰が見え、右には噴煙をあげる桜島の荒々しい姿がそびえています。

加治木駅周辺の駐車場について
朝、車で加治木駅に来て、周辺にコインパーキングが見当たらなかったので困ったのですが、加治木駅の駅員さんに聞いたら、加治木駅から特急に乗ると駅の駐車場に止めても良いとの事でした。
偶然、10分後に鹿児島中央駅行きの特急きりしまが着くとの事でしたので、渡りに船で切符を購入して駐車させて頂きました。
駅員さんから 『往復切符ですね?』 と尋ねられて、「いえ、片道切符で。」 と言ったら 『???。どうやって帰ってくるのですか?』 と聞かれたので 「歩いて、ここまで来ます。」  『・・・・・? あ!なるほど。』 という会話がありました。

歩きデータ
都道
府県
区間 通るビューポイント等 歩いた日 GPS
移動距離
鹿児島県 日豊本線 鹿児島駅~加治木駅 桜島、鹿児島城(鶴丸城)、西南戦争銃弾跡、ザビエル上陸地、旧鹿児島紡績所技師館(異人館)、集成館機械工場、仙厳園(薩摩藩磯別邸),西郷隆盛蘇生の家、霧島連峰
2025/5/25 24.8㎞

 GPSログをGoogleEarthでツアーする方法
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。



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鹿児島 鶴丸城から


鹿児島市街


鹿児島城(鶴丸城)御楼門



西南戦争の銃弾跡
上の写真の鶴丸城御楼門から北北東に100mほど離れた、現在は鹿児島医療センターが在る場所の石垣に残る銃弾跡です。おびただしい銃弾跡が残っています。どれだけ激しい戦闘だったのかを現代に伝えています。



鹿児島駅
2004年3月に九州新幹線の鹿児島中央駅が開業していますが、それまではこの鹿児島駅が鹿児島市観光のスタート駅でした。
この駅で鹿児島本線から日豊本線に変わります。

鹿児島港
鹿児島市街を歩いて鹿児島駅を過ぎてすぐに鹿児島港に出会いました。港の奥には桜島が控えています。


フランシスコ・ザビエル上陸記念碑
小学生の頃に授業で習ったザビエルが、天文18年(1549)、ここ稲荷川河口の祇園之洲町に上陸しました。
そして日本にキリスト教が伝わりました。
上陸地周辺は桜島を背景にした公園になっていました。親子が麗らかな陽ざしの中で遊んでいました。遊んでいる親子を見ていたら、日本は本当に平和な国なのだと感じました。


仙厳園付近

旧鹿児島紡績所技師館(異人館)
慶応3(1867)年に建てられた、日本初の洋式紡績工場の技術指導を行ったイギリス人技師の宿舎です。
平成27年(2015)『明治日本の産業革命遺産製鉄・鉄鋼・石炭産業』の構成資産として世界文化遺産に登録されました。

旧集成館機械工場
幕末、薩摩藩では西欧諸国からの侵略の危機感から大砲の鋳造や蒸気船の建造に着手ししました。
島津斉彬が第28代薩摩藩主になると、仙厳園(薩摩藩磯別邸)の隣に、この集成館という工場群を建設して、反射炉による製鉄をはじめ、機械工場を建設し、それをベースに、三本マストの洋式帆船「昇平丸」の建造を行い、その後、安政2年(1885)日本初の蒸気船「雲行丸」を建造しました。


仙厳園(薩摩藩磯別邸)
万治元年(1658)19代島津光久が別邸として築いた庭園です。薩摩藩の迎賓館として機能していたそうです。
明治になって鹿児島城(鶴丸城)が明治政府の所有になった為、一時期島津家の本邸としても使われました。

だんご 南洲茶屋  ちょっと、ひと休み。
歩き始めて1時間半ほど経ちました。
『南洲茶屋』というだんご屋さんが在りましたので休ませて頂きました。
奥さんが一人で店に立っていて、団子を食べながら、お話しをしながら休すませて頂きました。
『南洲茶屋』という屋号ですが、『南洲』は西郷隆盛の雅号ですので、西郷隆盛にちなんで名付けたのだと思います。

西郷隆盛蘇生の家
歩いている海岸線の道から、日豊本線の踏切を渡って行きます。
安政5年(1858)、幕府から追われる身となった西郷隆盛が、同じく追われる身の僧侶月照とともに鹿児島湾(錦江湾)に入水し、月照は亡くなりますが、西郷隆盛は隆盛は助け出され、この家で息を吹き返しました。
歴史に『もし』はありませんが、もし、西郷隆盛が息を吹き返えすことなく、ここで亡くなっていたら幕末・明治維新の歴史はどうなっていたのかと思わずにいられません。


歴史が濃い道です
鹿児島城御楼門 から西郷隆盛蘇生の家まで6㎞ほど歩きました。
下の写真は振り返って鹿児島市内を写した写真です。
・フランシスコ・ザビエルは天文18年(1549)に鹿児島に上陸し。
・鹿児島城の築城は関ケ原の戦いの後 慶長6年(1601)の築城。
・仙厳園(薩摩藩磯別邸)は万治元年(1658)の建築
・集成館は幕末に建設。
・石垣に銃弾後が残る西南戦争は明治10年(1877)。
この僅か6㎞ほどの区間で300年以上にわたる史跡を見ることができました。


大崎ケ鼻付近


鹿児島おはら節
  花は霧島 煙草は国分
  燃えて上がるはオハラハー桜島

と唄われた風景が広がっています。

写真手前から大崎ケ鼻、霧島市(国分)、霧島連峰の高千穂峰が見えています。


振り返ると、燃えて上がる桜島です。


写真左:大崎ケ鼻越しに見える桜島
写真右:日豊本線を走る1両編成の電車


姶良(あいら)市付近

TV・新聞で報道されたように2025年8月の豪雨で姶良市は大きな被害が発生しました。おそらく私が歩いた付近も被害を受けたのだと思います。
被災された皆様にお見舞い申し上げるとともに、早い復興をお祈りいたします。

白金酒造(石蔵ミュージアム)


普段は意識しないで食べていますが、薩摩あげは鹿児島が本場なんだと思い出しました。

網掛川河口
私が歩いたこの網掛橋周辺の護岸が濁流で崩壊して、車が川に落ちている映像をTVで見たときは俄かに信じられませんでした。
こんな穏やかな川面が一夜にして濁流に変わり牙をむく映像に、改めて自然災害の恐ろしさを感じました。

加治木町 性應(しょうおう)寺


性應寺を越えてすぐに左に曲がると今日のゴール加治木駅です。

加治木駅
朝、加治木駅の駐車場に車を置いて、特急きりしまで鹿児島駅に行きました。その間わずか20分強の時間でした。
鹿児島城御楼門からスタートして8時間ほどかけて加治木駅に着きました。
歩き旅でいつも思う事ですが、時間をかけて自分の足で歩く旅はなんて贅沢な時間なのかと思います。


エピローグ
 

可能な限り旧街道を歩いて日本縦断をする歩き旅最後の区間の一日目、鹿児島城御楼門から日豊本線加治木駅まで歩きました。
なんと言っても、5月末という良い季節だった事もありますが、青空と濃い緑が印象的な道でした。
そして戦国時代から幕末・明治初期までの武士の時代から近代国家に生まれ変わるまでの史跡が6㎞ほどの道のりの間に残っているのが驚きました。


END

2025年10月10日 作成

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Exhibition

MelanComic AMBIENCE



Hiroki Yagi & HIYÜ


From November 5th to December 21st.

 ・Venue: Numero51 Art Gallery    link

 ・Address: Via Privata Cesare Mangili

6,20121 Milan, Italy   map



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