電子足跡: 最南端佐多岬歩き旅
伊座敷から大泊を経て本土最南端佐多岬へ
ゴールです!
プロローグ
このページは鹿児島湾(錦江湾)沿岸を鹿児島城御楼門から本土最南端佐多岬を目指して歩いた、7日目・8日目の2日間の伊座敷から大泊を通り佐多岬まで歩いた旅の最後のページです。この道は陽の光が強く、大気は濃く、亜熱帯のような植生と海と山が交錯し、複雑で美しい風景の道です。
なにより、本土最南端の佐多岬は特別な場所、憧憬の場所です。
これまで大きなトラブルもなく、歩いて到達できた事に感謝です。
本文にも書いてありますが、伊座敷から佐多岬までの20㎞弱の区間は路線バスが廃止されています。私のように車中泊をしながら歩くには歩きにくい区間です。民宿が在るようですが多くはありません。事前に良く調査して計画をたてる事をお勧めします。
歩きデータ
| 都道 府県 |
区間 | 通るビューポイント等 | 歩いた日 | GPS 移動距離 |
| 鹿児島県 | 伊座敷~大泊 バス路線なし |
伊座敷、最南端のバス停『佐多』、佐多旧薬園、ふれあいパーク佐多、尾波瀬集落、大泊集落、佐多岬野営場 | 2025/6/4 | 片道 10.4㎞ (バス路線なしの為往復 20.8㎞) |
| 大泊~佐多岬 バス路線なし |
大泊集落、佐多岬野営場、ホテル佐多岬(休館中)、さたでい号乗り場、ソテツ自生地、田尻地区、北緯31度モニュメント、佐多岬観光案内所、御崎神社、灯台守広場、官舎跡、本土最南端佐多岬 | 2025/6/5 | 片道 6.6㎞ (バス路線なしの為往復 13.2㎞) |
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。
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伊座敷から大泊へ
マラソンで言えばスタジアムに入って、トラックを回り、実況中継のアナウンサーが『最後のホームストレートだ!』と絶叫するシーンです。
と言っても、歩き旅はアナウンサーも観客も誰もいませんけど。
本土最南端のバス停 鹿児島交通 佐多バス停
伊座敷の佐多診療所前のバス停が最南端のバス停です。
この先、佐多岬へのバス路線は廃止されています。
ひとりで歩き旅をする者にとっては大きな問題で、歩いて佐多岬まで行ったとしても帰りのバスが無いという事になります。それで、あと22㎞で佐多岬ですが、7日目は伊座敷から大泊間を往復。8日目は大泊から佐多岬間を往復する事にしました。
佐多旧薬園
1600年代後半に開設された、日本最南端の薬園で、薩摩藩直営でした。
広さは3,000平方mで、現在でもリュウガン、レイシ、マンゴー、マカダミア、フトモモ、アカテなどが残っているそうです。
佐多薬園を過ぎると、私が歩いた道筋に大きな集落は無くなり、西方、島泊、尾波瀬、大泊などの集落が点在するだけになります。
暗いトンネルの向こうに “涅槃” の文字。
修行のような長い歩き旅の先に、涅槃の境地が待っているのかと思ってしまいますが、そんな事はあるはずもなく、ここから西の 『立目崎』にある休館中の宗教施設の案内板でした。
涅槃城の看板があったトンネルが今日の行程の標高が一番高い地点で標高180mくらいです。これ以後、大泊まではほぼ下り坂です。
ふれあいパーク佐多
ウッドデッキから見えた風景です。
佐多岬まであと12㎞
『ふれあいパーク佐多』からすぐの場所です。
佐多岬が見える!
そしてあと12㎞地点の看板を越えて、尾波瀬集落の手前で佐多岬が見えました。
尾波瀬集落
入り江の僅かな平地に肩を寄せるように家が建ち並んでいます。
おそらく、何百年も前から、この地で暮らしているのだと思います。
大泊 佐多岬野営場
佐多岬野営場は、無料のキャンプサイトです。サイトは芝生が刈り込まれ、炊事棟、テーブル、ベンチが備わっています。駐車場もあるので明日に備えて車中泊させて頂きました。
バックパッキングで日本一周 たかひー さん
佐多岬野営場に着いたのは午前9時少し過ぎです。
昨夜、ここでキャンプしたのでしょう、テントをかたずけてパッキングしている日焼けした男性がいました。バックパックの大きさを見てあまりの大きさに驚き「ただ者ではない。」と直感したので、パッキングが終わったところでお話を伺いました。
バックパッキングで日本一周をしているとの事で、佐多岬まで歩いて、これから宮崎に向かい、九州の東側を北上するとの事でした。
お会いした時の印象は30代の方なのかと思ったのですが、たかひーさんのInstagramを見たら40代後半から歩き始めて、現在5年目との事で筋金入りのバックパッカーでした。
ときどき、自転車旅や歩き旅をしている方達と知り合う事がありますが、多くの場合、皆さん実年齢より若く見えます。日に焼けて健康的に見えることもあると思いますし、通常の社会生活のストレスが無いからなのではないかとか、そしてなにより、良い意味で歳は重ねても、子供の心を残しているからなのかと想像します。
お互いに写真を写しあい、これからの旅の安全と健闘を祈って別れました。
たかひーさんのInstagramを御覧ください。
楽しそうな写真が盛りだくさんです。
注:
スマホでは、上のInstagramへのリンクが開かない場合があります。
その場合は、スマホのInstagram画面の虫メガネ記号をクリックして検索画面を開き tkhhkt166 を入力して検索してみてください。
たかひーさんのInstagramがヒットするはずです。
大泊から佐多岬へ
日にちは変わり2025年6月5日。好天に恵まれ、いよいよ佐多岬への歩き旅も最後の歩きです。
と言うより 『ほぼ旧街道を歩いて日本縦断』 最後の歩きです。
佐多野営場からスタートして、大泊港を見ながら、休館中のホテル佐多岬の前を通りスタートです。
大泊の海岸が終わる所から、標高100mほどの峠があります。朝起きてまだ身体が温まらないうちにこの急坂を登るのはかなりきつかったです。
あと4㎞、されど4㎞。
ソテツ自生地
地理院地図にも記載されている蘇鉄の自生地です。
その前の海岸は麗らかな陽ざしが射し、凪いだ海が広がっていました。
田尻地区集落
佐多岬公園第2専用駐車場
田尻地区を迂回するように道は大きくカーブして田尻集落の上に続いています。その途中に随分と広い駐車場がありました。ここにもソテツが自生していました。ここで休憩して最後の歩きに備えました。
それにしても、ここの風景は日本離れした上手く表現出来ない風景でした。
田尻集落の上の道から見た田尻海岸。見えている岬は大瀬鼻。
佐多岬まであと1㎞。緑が益々濃くなり、日本離れした風景が続いています。空気も心なし湿度が高く、濃く、亜熱帯の感じです。
北緯31度線モニュメント
佐多岬とカイロ・上海・ニューオリンズが同じ北緯31度上にあります。
本土最南端 佐多岬
北緯31度モニュメントから400mほどで佐多岬の核心部に到達します。佐多岬観光案内所右側のトンネルを通り抜け本土最南端の地に向かいます。
御崎神社
ジャングルのような所に鎮座する神社です。
創建は和銅元年(708)とされ、御祭神は、日本神話で国産み・神産みの神とされる二柱の神様、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊耶那美命(いざなみのみこと)です。
ここまで歩いてこれた事に感謝してお参りしました。
灯台守広場
佐多岬の灯台は明治4年(1871)に建てられました。慶応2年(1866)にアメリカ・イギリス・フランス・オランダと締結された『江戸条約』で建設が決められた8っの灯台のなかのひとつです。
かつて灯台を守る為に職員がこの地で家族と共に暮らしていました。
現在のように道路も整備されていない明治期に、この地で暮らす事は困難を極めた事は想像に難くありません。そして、沖をゆく船の安全を守っていました。
写真右:佐多岬灯台守の官舎跡
歩いて到達できる本土最南端
灯台守広場の南端は立ち入り禁止になっています。一般人が歩いて到達する事ができる本土最南端の地です。
ここから引き返して斜面に続く細い石段を登り、佐多岬展望台に向かいます。
本土最南端の風景
東: 枇榔島 北西: 開聞岳
佐多岬
着きました!
これで、北は北海道宗谷岬から南は佐多岬まで、ほぼ旧街道を歩いて日本を縦断できました。
飛び上がって喜びを爆発するような感情ではなく、ジワーっと嬉しさと達成感が湧き上がる静かな感動が湧き上がってきました。そして同時に「これで、もう歩かなくていいのだ、早く家に帰ろう。」という思いが湧いてきました。
帰る場所があるから、少し暑くても寒くても、ちょっと足が痛くても、歩き旅を続ける事が出来るという当たり前だけど、なかなか気が付かない事を感じました。
エピローグ
これで、鹿児島城 御楼門から鹿児島湾(錦江湾)沿岸を歩いて本土最南端 佐多岬まで歩きました。と言うより、北は北海道宗谷岬から本土最南端佐多岬までほぼ旧街道を歩いて日本縦断しました。
これで定年を迎える頃に思い描いた歩き旅は10数年かかりましたが終わりです。その間、両親と兄が亡くなり、子供たちが結婚し、孫が生まれ、季節が移ろう様に人生も移ろいました。
ですが、道は人が住む所、いたるところにあります。
次はどんなテーマでどこを歩こうかと想像が広がっています。
END
2025年11月28日 作成
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