電子足跡: 最南端佐多岬歩き旅
霧島市福山漁港から桜島を越えて鹿屋市古江町へ
プロローグ
このページは最南端佐多岬を目指して歩いた、3,4日目の2日分のページです。霧島市福山漁港から、大正3年(1914)の大噴火で桜島から流れ出た溶岩流で桜島と大隅半島が繋がった場所を越えて、垂水市を歩き鹿屋市古江町まで歩きました。途中、大正大噴火で噴出した火山灰で鳥居が埋もれ、『埋没鳥居』として知られている稲荷神社を訪れました。
また、歩いている途中に有名な薩摩焼酎の "森伊蔵"の酒蔵がありました。鹿児島湾の地学的な成り立ちについても簡単に記載しています。
バス路線について
4日目のバス移動は、車をゴール地点の古江駅跡の駐車場に置いて、バスでスタート地点の道の駅たるみずに移動して歩き始めました。
バス停は古江(垂水行き)→垂水港(乗り換え)→道の駅たるみず
と垂水港で乗り換えました。
歩きデータ
| 都道 府県 |
区間 | 通るビューポイント等 | 歩いた日 | GPS 移動距離 |
| 鹿児島県 | (鹿児島交通) 福山中学校前~道の駅たるみず |
姶良カルデラ、福山漁港、薩摩街道高岡筋追分、垂水市、桜島、森伊蔵酒造、大崎観音崎、宇喜多秀家潜居跡、道の駅たるみず |
2025/05/28 | 17.5㎞ |
| (鹿児島交通) 道の駅たるみず~垂水港(乗り換え)~古江 |
居世(こせ)神社、牛根麓稲荷神社の埋没鳥居、桜島口、大正溶岩、垂水市街、道の駅たるみずはまびら、TM牧場温泉、古江駅跡(駐車場) | 2025/05/30 | 27.8㎞ |
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。
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霧島市 福山漁港から道の駅たるみずへ
今日のスタート地点の福山漁港は港湾施設としては勿論ですが、福山港湾緑地広場として綺麗に整備されています。防波堤釣りの釣り人も多く、意外と多くの人たちが集まっていました。薩摩街道高岡筋追分
江戸時代後期は。西側の出水筋が主に使われましたが、それ以前は鹿児島市から重富、国分を通り、この追分から東に進み日向(宮崎県)に向かう街道が使われていました。
中大廻地区
住所は福山町福山です。鹿児島市→姶良市→霧島市と歩いて来て、町というか集落の規模が段々と小さくなってきている感じがします。
今日も噴煙を上げる桜島
磯新堀付近の鉄道遺構
確証はありませんが、かつて走っていた大隅線の遺構なのではないかと思います。
大隅線は国分市(現霧島市)と志布志町(現志布志市)を走っていた路線で昭和62年(1987)に全線廃止になっています。
垂水市
霧島市を越えて垂水市に入りました。神戸市の垂水は ゛たるみ゛ と発音しますが、こちらは ”たるみず” と発音します。
桜島が益々大きく見えてきました。
噴煙を上げる火口の荒々しさを身近に感じる経験はそう多くはありません。
その火口を望みながらのんびり釣りを楽しむコントラストが面白いです。
森伊蔵酒造
焼酎が好きな方は “森伊蔵” という銘柄を一度は聞いた事があるのではないかと思います。歩いている220号線の桜島が大きく見える鹿児島湾の沿岸、垂水市牛根境に蔵元がありました。
昔、友人がJALの機内で購入した森伊蔵を持ってきて、みんなで飲んだ事がありますが、まろやかで香りが良く美味しい焼酎でした。
所変われば
東屋?火山灰から墓石を保護するために屋根があります。
鮮魚・海ぶどう自動販売機
海が近く、新鮮な魚が獲れるという事なのでしょう。
海ぶどうは海草だと思いますが、ヒラメの刺身が500円で海ぶどうが1000円。魚の方が安い値段にもちょっと驚きました。
ここにも鉄道遺構がありました
鉄道遺構をみると、史跡や古民家と同じように、どこか懐かしい、どこか物悲しい気持ちになります。かつて、そこに人の生活があったと感じるからなのだと思います。
太崎観音崎
景勝の地として知られています。
岬には石祠があり、聖観音が安置されています。
宇喜多秀家潜居跡
慶長5年(1600)関ケ原の戦いで 西軍の主力として参戦するも敗れ、島津家を頼り、この地で隠遁生活を3年間送りました。その間毎日、ここから3㎞ほど離れた居世(こせ)神社に参拝して過ごしたそうです。その後徳川幕府に捕らえられて、八丈島に島流しになった武将です。
道の駅たるみず
この道の駅は日帰り温泉施設があり、露天風呂からは噴煙を上げる桜島をまじかに見ながら入浴できます。
あまりにも良い道の駅でしたので、歩くのを中断して、数日間ここでまったり過ごそうかと思ったほどです。
火山灰です
日常の生活で火山灰が積もる事を経験することはないですが、鹿児島ではこれが当たり前の事なのでしょう。
姶良カルデラについて
すこし地学的な話になります。地図を見ると、鹿児島湾(錦江湾)は桜島の噴火によるカルデラが海と繋がった様に見えます。ですが、それほど単純な話ではなく、
3っのカルデラは
・北部の姶良カルデラ
・中央部の阿多北部カルデラ
・南部の阿多南部カルデラ
と呼ばれています。
注:本図は GEOSCAPE 桜島 鹿児島県鹿児島市 の記事に基ずいて筆者が作成したものです。
姶良カルデラの中心部について
私は3日かけて姶良カルデラの周囲を半周したという事になります。
道の駅たるみず から 古江まで
日にちは変わり、今日は雨模様です。道の駅たるみずからスタートです。
居世(こせ)神社
上記の宇喜多秀家が毎日参拝した神社です。説明版によると、源平合戦のとき壇ノ浦で入水した 安徳天皇 をお祭りしているそうです。
神社の前の小さな集落には、東小路、中小路、宮崎小路と京都風の地名が付けられていて、この集落は平家の落人が住みついたと言われているそうです。
桜島 大正噴火について
牛根麓稲荷神社の埋没鳥居この歩き旅を始める前に、ここに埋没鳥居があると知ったときから、ここは必ず訪れようと決めていました。
この鳥居は大正3年(1914)桜島大爆発の降灰で埋没しました。現在は約1.45mまで掘り出されて、大噴火の記憶を残しています。
大噴火があれば膨大な降灰があるのは頭では理解していますが、鳥居が埋まるくらいの降灰の量は想像を超えています。
ほんの100年くらい前、桜島は文字どうり "島" だった
小学校高学年の頃だと思うのですが、授業で、かつて桜島は錦江湾の中の島だったけれど、大正時代の噴火の溶岩で桜島は地続きになったと習いました。そのときから一度は訪れてみたいと思っていました。
下の地図は明治35年(1902)の桜島の地図です。
桜島と大隅半島が離れている事が分かります。
下の地図は現代の桜島と大隅半島が接合した部分を拡大したものです。
地図から大正噴火で西から東に大量の溶岩が流れ出ているてのが見て取れます。更に大正溶岩の上に昭和21年(1946)の噴火で流れ出た溶岩が覆いかぶさっているのもわかります。
注:
1)モノクロの地図は "今昔マップon the web" で公開している地図を使用しました。
2)カラーの地図は地理院地図にカシミール3dのスーパー地形で描画した地図を使用しました。
桜島と大隅半島が接合した場所
かつては海峡だった所は桜島と大隅半島が繋がり入り江になりました。
桜島口
桜島と大隅半島が接続した地点
下の左の写真は桜島口にあった説明版の写真です。左側が大隅半島、右側が流れ出た溶岩です。草木も生えなかったような土地が今では何事も無かったかの様な風景になっています。
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