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電子足跡: 旧青梅街道歩き旅
小川宿(新小平駅)から箱根ヶ崎宿を通り青梅宿へ


プロローグ
 

このページは旧青梅街道をJR武蔵野線の新小平駅付近の小川宿から箱根ヶ崎宿を通り、JR青梅線の青梅宿まで歩いたときのページです。
東京も、この付近まで来ると高層ビルは減り、住宅街に突然茶畑が現れたり、「ここって、東京なの?」と思える風景も見ることができます。街道筋の家並みも高度成長時代の名残があり、とりわけ都営村山団地は部分的に建物は建て替わっているようですが、高度成長時代の熱気が残っている感じがしました。
何気なく、通った大きな商業施設が日産村山工場の跡地の一部だと知り、時代の移り変わりを感じたり、青梅宿では昭和レトロな家並みや、残されている映画看板に郷愁を感じました。
また、地形好きな私としては、武蔵村山市の残堀川に沿って走る "立川断層" も興味を感じました。

歩きデータ
都道
府県
区間 宿場・ビューポイント等 歩いた日 GPS
移動距離
東京都 新小平駅~青梅駅
小川宿(小平市)、小川寺、小平神明宮、都営村山団地、日産村山工場跡、立川断層、一本榎、箱根ヶ崎宿、會田薬局、圓福寺、青梅宿、青梅の映画看板
2025/04/24 21.9㎞

 GPSログをGoogleEarthでツアーする方法
 kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。





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小川宿
 

今日はJR武蔵野線新小平駅からスタートです。
小川宿は現在の小川町1丁目~2丁目付近にあった宿場です。

鎌倉街道
駅を降りて直ぐに、鎌倉街道の道標がありました。青梅街道と南北に直交しています。北はブリヂストンの工場、南は津田塾大学の敷地を通っていたようです。この鎌倉街道を南下する方向には鎌倉があります。




小川寺(しょうせんじ)山門
臨済宗のお寺です。
江戸時代初期まではこの地は無人の原野で、小川九朗兵衛は水利に乏しいこの地の開拓を目指しました。やせた土地の開拓を志す農民もあまり集まらず開拓は困難を極め、九朗兵衛は自費で農民を住みつかせて開拓を進めるとともに、この地に薬師瑠璃光如来を本尊として開山したのが小川寺だそうです。


小平神明宮
人々が開拓を目指し住みつき始めた江戸初期に移り住んだ人々の守護神として鎮座しました。青梅街道を挟んだ南側には武蔵野美術大が在ります。


小山宿から箱根ヶ崎宿へ


昭和を感じる 都営村山アパート
都内最大規模の都営団地です。昭和39年(1964)~42年(1967)にかけて建設されました。昭和39年といえば第1回東京オリンピックが開催された年です。建設された当初は5260戸5階建てアパートを中心に424棟が林立していたそうです。


昭和生まれの私としては、鉄筋コンクリートのアパート群は、その当時の近代化の象徴でしたし、憧れもありました。懐かしさを感じます。

狭小住宅
TVで見たことがあるような、三叉路の僅かな土地に建つ狭小住宅。
中の間取りは分からないですが、このスペースに家を建てるって、空間的に自由な発想の持ち主が家主さんなのだろうという事は、容易に想像できます。

日産村山工場跡
跡地と言っても、青梅街道沿いから見えるのは、大きな商業施設です。
広大な敷地のかつてのテストコースの北側が再開発されて商業施設が建っていました。


左:1990年頃    右:現在

画像は、カシミール3D 国土地理院

立川断層
日産村山工場の跡地を過ぎると、すぐに残堀川に出会います。
残堀川が流れる流域に立川断層が走っています。と言うより断層が走っている所に川が流れていると言ったほうが良いかもしれません。
見た目は普通の川と変わらないです。


普段、「ここが断層です。」と思って見る事は少ないです。日本の至る所に断層が在りますので特別な場所という訳でもないですが、目では川を見ていますが、頭の中では地下の地層を想像している自分がいます。
地図のオレンジ色の線が推定された立川断層。ピンクの線が旧青梅街道です。


茶畑
意外でしたが、住宅街の一角に茶畑が広がっていました。冷静に考えたらここは狭山丘陵の一角なので狭山茶の産地なのかと思い至りました。それにしても新茶の緑色は爽やかな緑色です。


山王森公園
この光景を見なければ通り過ぎてしまうような公園でした。
前の夜、恋人たちがベンチに座り、散りゆく桜の花びらを見ながら語り合っていた光景が脳裏に浮かびました。


一本榎
ジョイフル本田瑞穂店のすぐそばです。一里塚のようにも見えましたが、一里塚の表記は無く、『一本榎』と木柱が立っていました。青梅街道はこの付近では『江戸街道』とも呼ばれていたのかもしれません。
これまで武蔵村山市を歩いてきましたが、ここからは西多摩郡瑞穂町になります。

箱根ヶ崎宿
 

箱根ヶ崎宿は、八王子と高崎を結ぶ、現在のJR八高線(はちこうせん)の箱根ヶ崎駅周辺の宿場です。
青梅街道と日光脇往還(千人同心街道)が交わるところに位置しています。

街道が交わる付近の風景
写真右:創業明治5年 會田薬局


圓福寺




箱根ヶ崎宿から青梅宿へ

JR八高線の踏切に来たら、頭上から爆音が聞こえました。
青梅街道は横田基地の直ぐ北側を通っています。
以前、何回か横田基地の周辺を車で通ったことがあります。道沿いに英語の看板が目立ち独特の雰囲気がありました。



青梅駅まであと3㎞ほどの所です。新町・師岡町付近ですが、住宅地の中を通ったかと思うと、茶畑があったりと、本当にここが青梅街道の道筋なの?と思うような所です。


青梅宿
 


東青梅駅付近を過ぎると道路沿いに "青梅宿" と書かれた旗が並んでいます。なんか、歓迎されているような感じで脚の重さとは裏腹にウキウキとした気持ちになります。

市街地も、これまで歩いて来た区間よりも旧街道感を感じる街並みです。




青梅市街は町全体で昭和レトロを演出しています。とりわけ昭和の映画の看板が郷愁を誘います。




以下は青梅駅そばの駐車場に掲げられていた看板です。









2026年 ミラノ・コルティナ冬季オリンピック、女子フィギュアスケート ショートプログラムで17才の中井亜美選手が、この映画 『道(La Strada)』の音楽に合わせて流れるような演技を披露しました。



これらの映画看板は、かつて青梅には三軒の映画館があって、映画が盛んでした。映画の衰退とともに映画館が閉館になり、一度は制作も途絶えましたが、1993年の "青梅宿アートフェスティバル" で復活して、青梅出身の映画看板師 久保板観さんが中心になり作成していました。
2018年に久保板観さんが逝去し、看板の老朽化と落下が懸念される様になり、大型看板は撤去されましたが、小型の看板は現在も残っていて目を楽しませてくれています。
 映画看板は芸術作品として描かれた訳ではないですが、見る者に、その時の情景や、当時の記憶や感情を呼び覚ましてくれます。心が揺さぶられるという事では芸術作品と何ら変わらないです。
これらの看板を見る為だけに青梅を訪れても良いと思います。

青梅の梅
青梅は梅の花が有名です。こちらの写真は、2007年3月4日に訪れた青梅市 "吉野梅郷 梅の公園" の梅です。




エピローグ
 

青梅街道を小川宿(新小平駅)から青梅宿まで歩きました。
東京都も狭山丘陵付近までくると大都会の雰囲気は薄れてきます。半面、高度成長時代の日本を感じるようになります。
そして、青梅宿の昭和レトロな家並みは懐かしさを感じます。

END

2026年02月17日 作成

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