電子足跡: 旧青梅街道歩き旅
氷川宿(奥多摩駅)から小河内ダム・奥多摩湖へ
"奥多摩むかしみち"を歩いて、春の息吹を感じる道
プロローグ
このページは旧青梅街道をJR青梅線の終着駅の奥多摩駅がある氷川宿から小河内ダム・奥多摩湖まで歩いたときのページです。この区間は 『奥多摩むかしみち』 として整備されて、所々道標やトイレ・ベンチが整備されています。
途中、小河内ダムの建設のときに敷設されたトロッコの廃線跡、白髭神社の大岩といわれる、長さ約20m、高さ約5mの地形的にも貴重な逆断層の断層面を見る事ができます。
道筋には "耳神様" "縁結び地蔵尊" "牛頭(ごず)観音様" などの古来からそこに鎮座されている、小さいですが優しい顔をされた石仏があります。
ゴールの小河内ダム・奥多摩湖は昭和32年(1957)完成以来、東京都民の水を供給し続け、大都市東京に暮らす人々の生活、そして命を支えてきました。
そしてなにより多摩川上流の渓谷とその樹木の新緑が言葉を失うくらい美しく、春の息吹というか生命の息吹を感じる事が出来る道でした。
歩きデータ
| 都道 府県 |
区間 | 宿場・ビューポイント等 | 歩いた日 | GPS 移動距離 |
| 東京都 | (JR青梅線)奥多摩駅~(西東京バス)奥多摩湖 |
氷川宿、奥多摩駅、奥多摩むかしみち、羽黒坂、トロッコ廃線跡、さいかちぎのサイカチ、奥多摩町境地区の集落、白髭神社と大岩、弁慶の腕ぬき岩、耳神様、惣岳渓谷、縁結び地蔵尊、馬の水飲み場、牛頭(ごず)観音様、水根地区、小河内ダム、奥多摩湖 | 2025/04/26 |
10.5㎞ |
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。
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氷川宿(奥多摩駅)
昨日のゴールJR青梅線奥多摩駅からスタートです。
この駅が青梅線の終着駅です。朝、ゴールの小河内ダムに車を置いてバスでここまで移動しました。
駅には登山客のグループが何組かバスを待っていました。
奥多摩駅付近の多摩川と日原川が合流する付近が氷川宿の中心地で、下の写真が現在の風景です。


奥多摩むかしみち
駅から国道411を少し進むと、"奥多摩むかしみち この先左" と書かれた下の写真の大きな看板が現れ、ここから国道411を離れ、山麓に続く旧青梅街道が、『奥多摩むかしみち』 として整備されています。
道は危険と思える場所はありませんでしたし、トイレやベンチなども設置されていました。注:上の写真をクリックすると大きな地図画像が開きます。
羽黒坂
左に曲がってむかしみちが始まると直ぐに羽黒坂と言われる坂になります。羽黒神社の前の坂です。
トロッコ廃線跡
小河内ダム建設に使用したトロッコの廃線跡です。
小河内ダムは昭和7年(1932)に計画され、戦争による中断を挟んで昭和32年(1957)に完成しました。
その間に多くの建設資材や建設に従事する人達を運んだのだと思います。当時、建設に従事した方達は、まだ存命の方もいらしゃると思いますが、この線路跡を見たら、若かりし自分の思い出と共に自身の人生を見ているような気持ちになるのではないかと思います。


路傍の石仏群




さいかちぎのサイカチ
樹高15m 幹囲3mの槐(さいかち)の木です。
説明版によると、この木がここにあったことで、ここの地名が氷川字槐木になったそうです。
江戸側から来ると羽黒坂を登り、甲府側から来ると桧村の坂を登ることになり、ここが小さな峠のような場所になるので、ここは立場になり多くの旅人がここで休んだそうです。現在はここにトイレが設置してあります。


ここにも廃線跡
説明板が無かったのですが、おそらく前記のトロッコ路線の遺構だと思います。場所としては琴浦の創価学会の施設の裏手の、多摩川を越えた斜面です。
薄暗い山腹の道を歩いて行くと・・・突然、緑の炎が燃え盛るような新緑でした。もしかしたらトトロが居るのではないかと思えるような春の息吹です。

奥多摩町境地区の集落
多摩川が削った斜面にある集落です。おそらく、古来から石垣を築き、営々と、この地で生活しているのだと思います。

白髭神社と大岩(逆断層面)
説明版には『白髭神社社殿北側に長さ約20m、高さ約5mにわたってオーバーハングして露出した岩盤です。三世紀石灰岩が白亜紀泥質岩の上に急角度で衝上した逆断層の上盤をつくる崖で、・・・(以下省略)』
注:説明版には高さ約5mと書いてありましたが、実際はもっと高いようにみえました。
逆断層は地殻に圧縮力が働く事で、断層面が持ち上がる断層です。
大岩は逆断層で持ち上がった石灰岩の断層面がそのまま露出している場所と言うことになります。これだけ綺麗な逆断層を見たのは初めての経験です。
古代人は不思議な地形や岩石に神が宿ると考えたので、この地を神聖な場所として祀ってきたのでしょう。

弁慶の腕ぬき岩
路傍に無造作に在る高さ3mほどの岩です。岩の下側にに腕が入るくらいの穴があることから、誰が言うともなく『弁慶の腕抜き岩』といわれるようになりました。


耳神様
耳が痛いときに穴の開いた小石を見つけて、耳神様に供えて治癒を祈ったそうです。
想像ですが、岩盤の窪みが耳の様に見えたので、信仰の対象になったのかなと思います。置いてある小石をよく見ると小さな穴が開いています。
それにしても、昔の人達の想像力は逞しいと思います。


写真左:いろは楓 樹齢約200年


惣岳渓谷
太古から寛保2年(1742)・明治40年(1907)の大洪水により押し出された多数の巨岩怪岩が積み重なる渓谷。



縁結び地蔵尊
落石防止ネットから顔を出して、優しいお顔をされています。
人にしられずにこっそり二股大根を供えて一心に祈れば結縁成就といわれています。


馬の水飲み場
かつては、ここで馬を休ませ、かいばを与え、馬方はここに在った3軒の茶屋で休憩しました。

牛頭(ごず)観音様
旧街道を歩くと、馬頭観音はよく見ますが、牛頭観音は初めて見ました。馬だけではなく、少ないけれど牛も使役されていました。
馬も牛も人とともに街道を進み、その息災を祈って造立されました。


道所橋
羽田や丸子、二子玉川のそばの多摩川を見慣れていると、多摩川に吊り橋が架かっているのが意外な感じがします。



小河内ダム・奥多摩湖へ
道所橋の吊り橋から少し進むと、旧青梅街道は尾根道に変わります。旧青梅街道は現代の青梅街道(国道411号線)の中山トンネルの上を通っています。


尾根からゴールの小河内ダムがみえました。ここからダムまでは直線距離では500mほどです。

水根地区
山の斜面の10軒ほどの集落です。昔はマタギや炭焼きなどで生活していたと思いますが、"ポツンと一軒家"ではないですが、現代ではこの土地でどの様な暮らしをしているのだろう?と思います。


本来の旧青梅街道は水根地区付近から谷に下る道だった様なのですが、今は道は消滅しているようです。水根地区から舗装道路を歩いて水根沢口の橋を渡って小河内ダムの下に続いている水根沢を通って小河内ダムに向かいます。


ゴール 小河内ダム 奥多摩湖




小河内ダムは大正15年(1926)に計画開始。着工は昭和11年(1936)、戦争による建設中断があり、東京タワー竣工の1年前、昭和32年(1957)に完成しました。
堤高149m、堤頂長353mのダムで、貯水量は1億8910万立方mで、200Lのドラム缶では9億4550万本、東京ドーム(約124万立方m)でいえば152杯分です。これは東京都の水源の20%に相当します。
ダムの建設に伴い、945世帯 約6000人がこの地域から移転しました。
湖底の故郷
小河内ダムに併設されている "奥多摩 水と緑のふれあい館"の隣 "石碑の小道"に、小河内ダムの建設で奥多摩湖に水没する運命だった、旧青梅街道の路傍の石仏や集落の石碑が集められています。
かつては旅人や馬方、水没した集落の人達が手を合わせ拝んだ石仏群です。






エピローグ
都心から直線距離で約60㎞、電車で2時間ほどの所に。こんなにも自然豊で歴史を感じる道が残っているとは驚きでした。それも都民の水を育む鬱蒼とした森に覆われ、その先が69年間都民の暮らし、命を繋いで来た小河内ダム・奥多摩湖に繋がっているという、偶然にしては出来すぎのロケーションの道でした。
東京近郊にお住まいの方であれば、日帰りも可能です。お仕事や日々の生活で疲れを感じている様でしたら、1日で良いので履きなれスニーカーで歩いてみたら如何でしょうか。
END
2026年03月17日 作成
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