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電子足跡: 薩摩街道歩き旅  津奈木駅から出水宿へ
 山と海を見ながら歩く変化に富んだ道
   鹿児島県に入ります

プロローグ
 

このページは薩摩街道を津奈木駅から水俣城下、米ノ津宿を越えて出水宿まで歩いたときのページです。
前日、薩摩街道の難所、佐敷太郎峠・津奈木太郎峠を越えて一転して平易な道を歩くので気持ちが軽やかな感じがします。
標高差も100m程度ですし、特筆するべきは、山間の道を歩いたと思うと、水俣城下のしっとりとした家並みを通り、海蝕涯の高台から八代海が見える道を歩いたりと変化に富んだ道を楽しめました。

歩きデータ

都道
府県
区間 通る宿場等 歩いた日 GPS
移動距離
熊本県/鹿児島県 肥薩おれんじ鉄道 津奈木駅~出水駅(九州新幹線) 津奈木駅、歌坂、水俣城下、はぜのき館、境橋(肥後/薩摩国境)、米ノ津宿、野間の関跡、出水宿、出水駅 2023/11/17 24.2㎞



 GPSログをGoogleEarthでツアーする方法
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。



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津奈木駅

昨日のゴール津奈木駅からスタートです。
駅前に少女が馬を引いている銅像があります。前ページにも書きましたが "孝女 千代" の銅像です。両親を亡くして祖父母に育てられ、祖父母に孝行の限りを尽くした褒美に藩主から毎年10俵の米を60年間賜ったそうです。この銅像は祖父を喜ばせる為に買った馬を引いて薩摩街道を家路に急いでいる千代の姿です。
私は祖父母は勿論両親にも孝行らしい孝行はした事がありませんでしたが、唯一の孝行は祖父母・両親より早く亡くならなかった事くらいです。

津奈木湾
現在は岬の前に干拓地が広がっていますが、おそらく、かつてはこの岬の前まで津奈木湾が迫っていたのだと思います。


歌坂
岬を回ってすぐの所にある坂です。
現在では道が整備されてなんて事のない坂です。
この坂は天正15年(1587)豊臣秀吉が島津侵攻でこの地に来たとき、相良氏の家臣が

    草木もなびき従う五月雨に 君がめぐみは高句麗百済まで

と詠んで秀吉が大変喜び、その後 歌坂 と呼ぶようになったとのことです。

肥薩オレンジ鉄道と九州新幹線が通っています
おおくの場合、旧街道沿いには鉄道が通っている事が多いです。明治になって鉄道を敷設するときに宿場や産物の集散地がある旧街道沿いに敷設したという事があったと思いますし、旧街道は軍事目的を除いて地形が険しくない所を通っていたので、鉄道を敷設するにも好都合だったのだと思います。




水俣城下  古城地区
 

九州新幹線 新水俣駅 を過ぎると水俣城があった古城地区になります。
国道3号線に斜めに接続して薩摩街道が残り、その道を越えると、水俣城下で宿場町でもあった陳町になります。


そばを九州新幹線が通り、城下町でかつては賑わっていた町だったと思いますが、現在はしっとりとした良い街並みが続いています。

陳内阿蘇神社


水俣城下から米ノ津宿へ


薩摩街道は国道3号線や鉄道が通っている現在の繁華街ではなく、南側の山の中を通っています。
古城地区を過ぎると、西に向かっていた道は南西に向かい水俣川を越えます。更に湯出川を越えると、なんでわざわざこんな 急な河食崖 を越える所に道を作ったんだろうと思える道を通ります。100mくらいの登り道です。





はぜのき館
河食崖を登りきって1㎞弱の "侍(さむれ)" という珍しい地名の所に はぜのき館 という入館無料の小さな展示施設がありました。
この地方はハゼの木の栽培が盛んで採れたハゼの実の油から和蝋燭、クレヨンなど原料になり、インクジェットプリンターのインクの原料にもなっているのは少なからず驚きました。
見学した後、ベンチで休ませて頂きました。




坂口地区では、大きな自然石に "薩摩街道" と彫られた道標の前を歩きました。


肥薩おれんじ鉄道は渡れました
歩く前に街道の道筋を調べているとき、出月と冷水(ひやすじ)の間を肥薩おれんじ鉄道が通っており、薩摩街道の道筋が分断していました。
踏切がなければ迂回しようと思っていましたが、歩道橋がありました。


写真左:袋御番所跡
写真右:袋駅  珍しい形の駅です




境橋  肥後と薩摩の国境
国道3号線と肥薩おれんじ鉄道が交差する鉄橋の手前に斜めに接続して薩摩街道が通っています。道が分かり難いですが鉄道に沿って歩くと境川に架かる境橋に出合います。

境川・境橋という名前の通り、小さな川ですが肥後国と薩摩国の国境で、現在でも熊本県と鹿児島県の県境です。
この橋は西南戦争以後の明治16年(1883)に架けられました。それ以前は国境の為に橋は無く飛び石伝いに川を渡っていました。




薩摩国に入りました

鹿児島県に入ると、薩摩街道は海蝕涯の上を通っているので、5㎞くらいの区間は標高20~30mくらいの高台から八代海を見ながら歩けます。


azuki cafe
海食崖の上の薩摩街道の出水市境町に azuki cafe というカフェがありました。
街道を歩いているときにカフェに入る事はほぼありませんが、海の風景が奇麗だったのでコーヒーを飲んでチョット余韻に浸ろうと思ってお邪魔しました。

香り豊かなコーヒーを飲んで贅沢な時間を過ごして、帰り際に「店の裏に行って海の写真を写してもいいですか?」と聞いたら『どうぞ、撮影して下さい。でもこちらの方が海が奇麗ですよ。』と言って、ご主人が店を出て撮影ポイントまで案内して頂きました。コーヒーを飲んでいるうちに雲も切れて青空が広がっていました。そして撮影した写真がこちらです。



美味しいコーヒーと、撮影ポイントまで案内して頂きまして誠に有難う御座いました。

米ノ津宿

azuki cafeから2㎞ほど歩くと海蝕涯の道は終わり米ノ津宿に向かって下って行きます。

有村雄助首実検の地
桜田門外の変に加わった薩摩藩士 有村次左衛門は 襲撃で深手を負い自害しますが、兄の有村雄助は江戸の状況を知らせ挙兵を促そうとするも、途中で捕らえられて鹿児島に護送されました。薩摩では切腹を命じられ自決しましたが、犯人引き渡しを求めてきた幕府役人を藩内に入れないようにする為、関所の外で有村雄助の首実検を行い、幕府の役人を帰したのがこの付近と言われているそうです。
桜田門外の変 は水戸藩の脱藩者が起こした事件と思っていましたが、薩摩藩藩士も関わっていたと知り驚きました。

野間の関跡
有村雄助首実検の地から400mほど鹿児島よりに行った所にある関所跡です。
上記の幕府の役人を薩󠄀摩領に入れない為に、ここから僅か400m熊本よりの所で首実検を行ったという事です。


薩摩街道は肥薩おれんじ鉄道の線路から500mほど東の所を通っています。
街道筋は旧街道らしさは希薄でした。


これは何?
肥薩おれんじ鉄道の踏切の所に風化の具合からかなり古いと思われる石像が立っていました。左の台座には『再興記念』右は『加?久利神社』と書いてあるように見えました。雰囲気としては左は仁王像、右は古代の鎧を纏った兵士の様にみえましたが、説明板もなく、結局なんなのかは分かりませんでした。




出水宿
 

踏切を渡ると田園の中を歩いて出水に向かいます。遠くに出水市街が見えています。
九州新幹線の駅が今日のゴールです。駅舎の屋根付近に鶴のオブジェが複数連なっていて、出水が鶴の飛来地だった事を思い起こさせてくれました。




歩き終わって、マーケットで買い物していたら虹が架かっていました。


エピローグ
 

冒頭に書きましたように、この区間は城下町を通ったり、山あいの道を通ったり、八代海の海蝕崖の上に続く道から海を望みながら歩ける変化に富んだ良い道です。街道歩きに限らず、道を歩くときはアスファルトの車が行きかう現代的な道を歩くよりも、山あいの道や海岸沿いの道を歩く方が雰囲気が格段に良いです。同じ歩くという行為なのに何が違うのかと聞かれても明確に答える事は出来ません。


END

2025年07月12日 作成

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