電子足跡: 薩摩街道歩き旅 向田宿(川内)から東市来駅へ
なんとなくホッとする道

プロローグ
このページは薩摩街道を向田宿(薩摩川内)から、串木野宿、市来宿を通り、鹿児島本線東市来駅まで歩いたときのページです。この区間は、アップダウンもきつくなく、里山の中を歩いて行くと港町に出たり、また里山の道に戻ったりと、緩やかな変化がある、どことなくホッとする道です。
途中に幾つか街道筋の説明板があったのですが、私が机上で推測した道とは多少異なっている部分がありました。やはり、インターネットや書籍で調べるより現地に来た方が情報が正確です。
歩きデータ
都道 府県 |
区間 | 通る宿場等 | 歩いた日 | GPS 移動距離 |
鹿児島県 | 鹿児島本線 川内駅~東市来駅 |
向田宿(薩摩川内)、川内駅,木場茶屋駅,北口屋橋、金山地区、串木野宿、袴田地区、神村学園前駅、市来宿、市来湊、中原の治水溝、東市来駅 | 2023/11/21 | 26.8㎞ |
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。
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向田宿(薩摩川内)から串木野宿へ
7時頃、鹿児島本線 川内駅からスタートです。これまで乗ってた電車は肥薩おれんじ鉄道ですが、川内駅からは鹿児島本線に変わります。
大伴家持像

家持は歌人としての印象が強かったので、「なんで川内駅に家持の銅像?」と思いました。
天平宝字8年(764)に川内に置かれていた薩摩国府に薩摩守として赴任したそうです。
川内駅からすぐの平佐川を渡った所で朝日が昇りました。


この日は11月21日でした。私が住む新潟県長岡市はこの時期ですと秋が深くなり、もう少し経つと初雪が降る事もある季節です。
鹿児島県に来て毎日麗らかな日が続き、ややもすると春先と勘違いするような日々が続いていました。薄っすらとかかる朝霧を見て、今は『秋』なのだと認識しました。


木場茶屋駅

薩摩街道のルートについて
下の絵地図は木場茶屋駅から少し進んだ所にありました。私が推測したルートは国道3号線に沿ったルートを推測しましたが、薩摩街道は絵図の赤線の様に川を挟んで曲りくねった道のようです。

上の絵地図の現在地と書かれた所から3号線を離れて道が描かれていますが、下の写真がその道です。僅か区間ですが心地よい道です。


北口屋橋
南九州自動車道と国道3号線が交差する所にあります。

行止りでした
上の絵図に従って北口屋橋を渡って絵図では破線になっている所を歩きました。




金山地区
古民家が残っている訳ではないのですが、如何にも旧街道という雰囲気の道です。


島津芹ヶ野鉱山五番谷通洞坑口
かつて、ここに金銀の鉱山があり、鉱石を運び出すための出入り口があったそうです。この付近を "金山" と読んでいたのも鉱山が在った事に由来するのだと思います。




串木野宿
串木野宿は、現在串木野漁港や串木野駅を中心に広がっている市街地ではなく市街地から東側の鹿児島本線と南九州自動車道に挟まれた山麓に続いていました。現在では宿場の面影はありませんが、宿場の中心地は現在の袴田地区付近だったようです。袴田地区付近




神村学園前駅付近
神村学園は高校野球で良く聞く学校です。実は歩いた時はそうと気が付かず駅前を素通りしてしまいました。


市来宿
八房川を渡ると市来宿です。市来宿は串木野宿からわずか1里の距離です。八房川河口に小さな市来湊があります。


濱田酒造
鹿児島市が近づいてきたせいか焼酎の蔵元がありました。


市来宿から東市来駅へ
市来宿を過ぎると、砂丘と思われるこんもりとした丘が続く麓の道を進みます。この道の数100m西は海岸です。途中に石造りの立派な建物がありましたが説明板がないのでなんの建物かは分かりませんでした。




中原の治水溝跡
肝心な治水溝の写真を写さなかったのですが、度々シラス台地が崩れ、住民の生活はもとより、薩摩街道も被害を及ぼすので、藩の直営工事として治水溝を整備し、嘉永五年(1852)に完成したそうです。右の写真の側面に『嘉永五年壬子閏二月』の文字が読み取れます。


ルートについて

この絵地図によるとこの付近のルートは2ルートあり、北側のルートは消滅したようです。
南側のルートは私が当初推測したルート(青色)とは多少異なり、緑色で示したルートだったようです。このルートも山中の道は消滅している様ですので歩けるかは定かではありません。

薩摩街道と南九州自動車道が交差する坂之上袴道橋付近です。
かつてはこの付近は、冬は寒風を遮り、夏は木陰を作る千本松とよばれる松並木があったそうです。街道沿いには茶屋があり往来する人々で賑わっていたそうです。


路傍の石仏

東市来駅

駅構内に駐車場があり、隣にはコンビニがありました。
エピローグ
ゴールの鹿児島市内の鹿児島城(鶴丸城) 御楼門まであと1日のところまで歩いて来ました。いつもの事ですがゴール前というのは、嬉しいような寂しいようなホッとするような、なんとも形容できない気持ちになります。
END
2025年08月21日 作成
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Column
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